Vol.12「私は何者?そして何をしてるの?」
大阪アーツプランニング/西野 昌克

そもそも私は、1979年に京都市立芸術大学西洋画専攻科を修了しており、自分ではデザイナーという意識はない。かといってアーティストかと問われると返答に困る。作品を売って生計をたててきたわけではなく、これまでは貸しビル業を経営し、美術研究所を立ち上げ、美大受験生をこの20年間で1600名も美大へ送り込んで来た。まさしく美大からの表彰ものである。そのため先生業(教育者)として約30年も携わったことになる。

もともと自分ではコンテンポラリーアートとして数多くの作品を制作してきたものの、デザインとアートの境界線が曖昧になってきたここ数年の傾向に私の好奇心が動いているのは事実である。しかしそうは言え、私は経営者としての自覚はあってもアーティストともデザイナーとも思っていない。どうも法人の代表取締役というものを長年携わっていると個人(個性)を失っていくのかも知れない。──財布の中身も同じように。

会社を設立する時に法務局に届けるという定款というものがあって、種目にありとあらゆる業種を書いたのも当時「自分が何でも出来る」という若気の過信と「自分では何も出来ない」との裏返しの意味を持つ。

そのため、よく「西野さんは何をしてる人?」とよく聞かれる。その中身は「何が出来る人?」なのであるが、実に応えようがないのである。「何も出来ない人です」なんて答えるとびっくりされるでしょうし、そんな人には用はないのである。

現在私の名刺には、いろんな事をしているため、全部を丁寧に入れたのであるが、またこれが人の不信感を買うようである。防火管理者も町内の連合会副会長もしかり、はたまたPTA港友会副会長、大学の同窓会役員及び美術教育研究会役員と多種多様である。名前だけの役員であれば、それはそれでいいのであるが、周囲の方に推薦され、実務が伴ってくればやるしかないのである。ビジネスでも、ボランティアでもない。私自身の役割であり使命だと思っている。

亡き父親のもとで育ったことが、このような人格を形成してきた事に最近改めて気づくのである。父親は屋外広告業(看板)を営み、大阪屋外広告協同組合(OAC)を設立し、業界や地域に貢献し勲六等瑞宝章まで受けた人であった。親父の口癖は「戦死した仲間の分も働く。生きて帰ってきたのではなく生かされているのだ。」という意味の事を語っていた。そんな意味を親父の年齢に達して、ふと同じような生き様をしている自分に重ね合わせて驚いている。先日も姉からの電話で「ホント、あんたはお父さんと同んなじ事してるわ」と笑われた。家業を継がなかった事も私のコンプレックスになっているのは事実であるが、家業ではなく、家訓というほど大層ではないにしても親から授かったDNAは、私の意志とはまた別物であるような気がする。

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